日本マインドフルネス学会 第7回大会

パンデミック時代のマインドフルネス

基調講演:マインドフルネスと“いのち”の全体性

井上 ウィマラ(健康科学大学)

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【講演者・自己紹介】

マインドフルネスとの出会い

 私とマインドフルネスとの出会いは、仏教との出会いとジョン・カバットジンとの出会いという二つの出会いであったように思う。仏教との出会いは、高校2年生の倫理社会の教科書で道元の「仏教を学ぶことは自己を学ぶことであり、自己を学ぶことは自己を忘れることであり、自己を忘れることができればすべての現象に照らし出される」(『現成公案』より)という言葉に出会って座禅をはじめたことであった。「人はなぜ生まれてきて死んでゆくのか」という問題に憑りつかれていた私は、仏教を学べばこの問題が解決できると直感した。それまで科学の道に進もうと理系にいたが、物理学や数学ではこの問題は解けないと悟って大学は哲学科に進んだ。その大学を飛び出して修行の道に入り、日本仏教では満ち足りずにビルマに行く縁にたどり着いた。そして、ビルマ仏教に伝わるヴィパッサナー瞑想を修行して自分が求めていたものにたどり着く体験をした。その時には自分の人生はもうこれで完成して、僧侶として一生を終わるのだと思った。

 ところが師匠の指令で伝統的な学問として経典を学ぶようになった私は、ヴィパッサナー瞑想の根本経典である『念処経』に出てくる「自分を見つめ、他者を見つめ、自他を見つめる」という3つの観察視点が何を意味するのかという新たな課題に出会い、この問いを解くためにビルマを出て、カナダ・アメリカ・イギリスでヴィパッサナー瞑想を教えながら心理療法を学ぶという次のステージへと旅立たねばならなかった。人生とは、不思議なものである。

そしてこの第2ステージの中でジョン・カバットジンとの出会いがあった。紹介してくれたのは、客員研究僧として滞在していたバリー仏教研究所のアンディ所長であった。カバットジンは還俗したばかりで経済的基盤のない私に奨学金を出してくれて、MBSRのインターンシップ研修を受講させてくれた。そして、貧民街で無料開催していたコースにも参加させてくれた。だがその時の私にはカバットジンが仕組んだマインドフルネス戦略の本当の意味を理解することはできず、広大なブッダの教えが切り売り用のパッケージにされてしまっているようで物足りない感じがしてしまったのをよく覚えている。

 カバットジンの戦略の本質が理解できたのは、帰国して大学でスピリチュアルケア教育に携わる中で、ブームになってしまったマインドフルネスに再会した時であった。脳科学で武装され、企業研修など幅広く応用されて、商品化されてしまっていると批判を受けるようになってしまったマインドフルネスを見て、「そうじゃない、カバットジンが目指したものは…」という形で、仏教の伝統から現代的マインドフルネスを援護射撃したくなった。なぜなら、そうすることがブッダの教えを現代化するための近道のような気がするからだ。

 最後に、こんな今の私の気持ちを歌にしたものがあるので紹介したい。般若心経をマインドフルネスの視点から謳ったものである。

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テーマの著者 Anders Norén